なぜ質問型営業は
生まれたのか

―― まず、リアライズが生まれた経緯を教えていただけますか?

私は大学卒業して、バイト先の寿司屋にそのまま就職したんです。その店を大きくするのに人生賭けてみようと思ったんですね。でも、私が28歳ぐらいのとき、残念ながら倒産。勤めていた企業が倒産の憂き目にあったんで、次はなるべく潰れない会社に入ろう思っていました。

丁度リクルートが開催していた中途採用のイベントがあり、たまたま会場で会った昔の親友と就職活動して、オリコで就職が決まりました。しばらくして、一緒に就職活動してた親友から「面白い話がある」という電話がかかってきたんです。

それが、アメリカのモチベーション・カリキュラムの勉強会でした。「成功の法則を教えてくれる所がある。行けへんか」って言うから、一緒に行ったんです。カリキュラムを販売する日本の代理店の朝礼でした。
朝礼に行くと、代理店の社長が「そろそろ朝礼しようか」って言うんです。そしたら、『2001年宇宙の旅』が大音響でかかって、突然大きい声で朝礼をしだすんです。もう、ビックリです。「なんや、これ」みたいな感じです。でも、朝礼での代理店の社員の姿に内心はすごく感動したんですね。

なんかやる気が湧くし、面白そうなんで、毎日、その朝礼に通っていました。そしたら、「青木さんもそろそろ話聞くか」と言われて話を聞いたら、「そのカリキュラムを買え」という話やったんです。自己啓発の本なんて1,000円ぐらいでしか読んだことないのに、カリキュラムが60万ぐらいするんです。それでも「なるほど、1,000円ぐらいじゃ成功できへんのや、60万出さなあかんのや」と思ってクレジットで即決で買ったんですよ。すごいでしょう。35年前ですからね。

そこからカリキュラムを勉強し始めました。「60万で成功できるんやったらこんな安いことないわ。むしろ60万かけたんやから成功できるやろ」と思ってたんです。けど、やり始めたらそのカリキュラムの内容が難しすぎて、さっぱりわからんのですよ。

「カリキュラムのテープを聞けば突如成功しだす」みたいに思ってて。聞き始めたとき、レッスン1は「成功」という言葉の解説でした。「そんなことどうでもええやん。早く成功させて」って思いました。でも、これはレッスン1やから…って思って、レッスン2、レッスン3まで聞いたら…寝てました。(笑)俺はえらいもん買うてしうた!と思って。今思えば、そういう面白おかしいスタートだったんです。 でも「これは何とかせなあかん」って毎日、その会社の朝礼行って。ところが、やってるうちに成果が上がりだしたんですよね。成果が出たのはカリキュラムのお陰というわけじゃなくて、要はモチベーション、「投資して頑張る事」で成果が出だしたんですね。

―― 当時、そこまでして勉強するという動機は、何があったんですか?

「こんな俺でも、成功できるなら、絶対成功したい!」と思ってたからです。単純やからね。「世の中の成功者はこういうことを勉強しているんや。黙って、隠れてやってたんや!」と思ったんです。ただやみくもに努力しても、寿司屋の頃もあかんかったし。とにかく「これで俺は人生成功手に入れたみたいなもんや」みたいに思っててね。本当に単純ですよ。でも、この単純さがいるのかもしれないですね。

―― 飲食業をやっている頃から、成功したいと思っていたんですか?

成功というより、劣等感の克服ですね。昔は、すごく劣等感あったから。小学校の頃から、好きな子がいつもいたんです。その子と付き合うには、やっぱり目立つというか、かっこよくならないと。人前でもビシッとしゃべれてね。
でも小学校3年からずーっと、緊張してうまくしゃべられないんです。人前に立つと真っ赤になりましてね。人前での緊張は、どうしたら治るのかずっと探してました。劣等感を克服しようとチャレンジして、失敗してかえって劣等感になるわけ。結局、学生時代は緊張症を治す方法がわからんかった。

俺みたい人間は大企業なんかに入っても、劣等感と緊張症で、人に紛れて小さくなってしまうだろうなって思いましてね。それならば、アルバイトで勤めていた寿司屋がこれから大きくしていくというので、卒業しても、そのまま勤めたんです。それに飲食で、人と会話も訓練できるだろうとも思ってね。結局寿司屋は7年でつぶれ、同期よりも遅れをとったんです。

それが、29歳でこのアメリカのモチベーション・カリキュラムを買って、勉強し始めた理由でもあります。でも、初めはさっぱりわからんで、「えらいもん買った、だまされたんと違うか」という気持ちでした。その意味がわかってきたときには、衝撃やったよね。「目標達成も、コミュニケーションも、セールスもシステムがあるんや」って初めてわかって。

「これ勉強したらいいだけなんや」と。持って生まれた性格でも、向き不向きでもない、と。「助かった!人生これからなんや!」と思いました。希望や、やる気に満ちてましたね。それで、そのカリキュラムを必死でやりだしたわけです。

勤めだしたオリコで営業についたのですが、そしたら、成果が上がったんです。新規営業とルート営業の2部門で、関西でトップになり表彰対象になったんです。入社して半年ぐらい経ったときです。もう、仕事も面白くってね。「こんなことを俺に感じさせてくれるこのモティベーション・カリキュラムはすごいな」って思ってね。そんなときにこの代理店の社長から「このカリキュラムの販売の仕事をしないか」とリクルートされたんです。

もともとノウテンキな人間ですからね。「そうか、この仕事を一日中していたら、このカリキュラムを一日中勉強できる。そしたら、俺はもっと早く成長し、成功できる」と思ったんです。それで、その会社に入ろうと決めたんです。

だから、オリコには8か月しか勤めていなかったんです。もちろん、成果を上げた表彰ももらえずじまいでした。でも、そんなことよりも、カリキュラムのセールスの仕事につけるということでワクワクしていました。

―― その会社で成果を上げたのでしたら、その会社でやっていてもよかったのではないですか?

その会社では中途採用でしたし、私なんかは先が知れていると思っていました。ですから、この仕事のほうが可能性があるように思いましたし、劣等感も克服できそうでした。「人間は、誰でも無限の可能性がある!」ってカリキュラムで言ってました。29歳で初めて聞いた言葉でした。感動しました。だからチェレンジが始まったんですね。

いよいよカリキュラムの販売の仕事に就くことになりました。ところが、いざ仕事についてみると、誰も買わないです。しよがなしに、友人のところに売りに行く。でも友達も買ってくれない。「一体どうなっているんだ」と思いましてね。

よく考えれば、私も初めはカリキュラムの内容が理解できないまま勉強して、何となくモチベーションが上がって成果が上がっただけなんです。成果が上がるから、「これは絶対いいものや」って思ってただけなんです。

えらいことになったと思いました。なにせ、セールスの報酬体系がフルコミッションなんです。売上上げれば収入はいくらでももらえますが、売り上げがなければ収入は0の世界なんです。日本の代理店の社長が「このビジネスはフルコミッションだ。いくらでも稼いでくれ。青天井だ。でも、床もねえぞ。ワッハッハ」ってやってましたが、じょうだんじゃない、本当だと実感したんです。こうなれば、生活していくためにも売るしかないと思ったんです。

そういう中で、悪戦苦闘していたんですが、半年ぐらいして、その業界のトップセールスマンのロープレをしてるカセットテープを仕入れたんです。実にうまくプレゼンテーションしてるんですよ。「これだ!」と思い、で、そのテープの言葉を全部書き出したんですよ。お客さん役とセールスマン役の言葉をです。

何を質問するか、どういうことしゃべるか。ものすごい時間かけて書き出して、さらに時間をかけて徹底的に覚えたんですよ。そうしたら、だんだん、お客様の前でも、しゃべりたくなって。それで、営業に出ていったら…。

なんと、突如売れ出したんですよ。いやぁ、びっくりしました。書き出した通りの答えが面白いように返ってきたんです。

―― 台本通りってことですか?

そうです。台本通りです。本当にビックリです。成果もでだしました。気が付いたら4月にその仕事をしたのに、12月にはその年の累計売上で全国の6位になってたんです。いやー、びっくりです。28歳まで、表彰状なんか何ももらったことなかった私が、これ以降、この世界で数々の賞もらう常連になったのです。

徹底的に学習すればできるんや。それがスタートですよね。学習によってうまくいくって実感してから、何でも勉強するっていう癖がついたんです。

―― そこから成果を上げて役員になったんですよね。そこからなぜ独立なんですか?

たしかに。そこからどんどん成果を上げましてね。成績は常に会社ではNo1。業界でも常にベスト5には入っていました。それで1年間で役員なりました。役員なって給料下がったんですけどね。そこから、さらに成績上げてって、4年ぐらいで専務にもなりました。

ただ、29歳でこの世界へ入ってセールスで成績は上がったけど、肝心の販売しているカリキュラムの使い方と成果の上げ方がわからないんですよ。自分がわからんかったら、当然、お客さんもわからん。それでも、セールス力はあるから、説得で売れちゃうんです。

カリキュラムでは、心構えを整えれば、成果が上がるっていう内容なんです。心構えの整え方は、「思考パターン」「常に物事を肯定的にとらえる」「どんな出来事も自分の糧にしていく」「目標設定をする」っていう考え方。仕事の目標と人生の目標をドッキングさせていくと、常に自分のために仕事してるっていう感覚になって、取り組む姿勢が変わってくるというもの。

ところが、ほとんどの人は目標設定なしに、アメとムチで動いてるんですよ。報酬もらえるから頑張るとか。

―― ニンジンぶら下げてるってことですか?

そう。カリキュラムを買った人も、アメとかムチで動かされているから、モチベーションの意味が分からない。結局、私には売る力だけが付いちゃって、ますます説得型になるんです。説得型って、どんどん説得傾向になってくるんですよ。ただ、説得で本当にいいのかって。改革しないと自分自身が潰れるなと思って、35歳のときに会社辞めたんです。

―― そこまで成果を出されていて、どうしてリスクをおって起業されたんですか?

その頃、ずっと指導してもらっている先生がいたんですが、指導の中で、いつも言われていることがあったんです。それは、「お客様に喜ばれることが営業で最も重要なことなんだ」「お客様が喜んでくれて、その喜びの延長上に売り上げがある。それは必ず広がってくる」「本当のセールスマンっていうのは、相手の人生に関わって、相手の人生さえも変えていく。それぐらいのパワーを持ってるのが一流のセールスマンなんだ」と。

ところが当時自分がやってることは、その教えと全く逆さまなんですね。「とにかく売れ売れ」。売り上げ困ってきたら「売れ」。「お前が責任持って売れ」って。

入社して、2年目ぐらいで絶対おかしいなって気が付いたんですけど、いろいろ改善できるよう会社に提案すると、「うるさい」って言われて、私は大阪から京都に飛ばされたんですよ。「お前はとにかく売れ」って言われて。そのうちに、会社は5人でスタートしたんですが、50人になり、私も専務になり、売上上げるために部下の同行営業ばかりしていました。今、質問型営業®で同行指導していますが、それができるのも、この頃にいやというほど同行したからなんですね。

とにかく、今の矛盾を解決したい。営業しても、辛い、苦しい、お客さんにも喜んでもらえない。売ることが辛くなり、何の喜びもない状態でした。それで、改革しようと35歳で独立したんです。だから、独立してからは、勉強ばっかりしてました。

―― 具体的にはどんな勉強をされていたんですか?

カウンセリングや色々セミナーに行ったり、先生にお金を払ってもう1回学んだり、いろいろやりました。3年ぐらいですね。売ることに疑問があるから、売りに行かないで過ごしていたら、あっという間に3年で借金まみれになって。
返済するのに大変で。40歳のときに「このままだと今年破産だ」と考えました。でも、売る力はあったので、とにかく生きていくために、売る矛盾をかなぐり捨てて、今年1年は売るしかない、と決意しました。

いよいよ、というとき。関西は大変なことなってしまったんです。阪神大震災が起こった。

テレビに映ってるのがすごい状況で、大変なことになってるです。それなのに、「大変なことなってもうた、俺これから、どうするねん」って自分のことを先に考えてしまった。

その事に、ものすごい落ち込んで、反省したんですよ。

「俺は今まで人に成功とかモチベーションとか偉そうに話していた。それなのに、いざとなったら自分のことしか考えてへん、なんと、自己中の情けない奴や」この自分の浅はかさ、レベルの低さにすごいショックを受けました。それで、「自分のことしか考えられないこんなレベルじゃ、今の仕事をやっている資格はない」と思って、辞めようと決意したんです。
この仕事辞めようなんて今まで、一度も思ったことなかった。成果も上げてたんで、あとは、お客さんの成果と、セールスのあり方と。ここさえ改革したら絶対いけるはずやと思って3年頑張ってきた。でも、資金的にしんどくなって、1年だけ売る事に専念しようかっていう時やったんです。あとから考えると、神様が「そんなことをするな」って言ってくれたんだとは思う。

それで、もう辞めよう、と決意したんです。

その頃、結婚もして子供もいたから、「仕事辞めてどうしよかな」と思ってたときに、私のお客さんから「青木さんなら営業できるやろから、不動産手伝ってくれへんか」って誘っていただいて。「家の販売なら、住んでもらえば喜ばれる。よし、これやろうか」ってなったんです。40のときですね。

嫁さんにも相談してね。「もう、俺はこの仕事は限界や。やめようと思うんや」て言ったら、「あんた、そんだけ頑張ってきたんやから、もういいんちゃう。自分が思うようにやったら」って言ってくれた。うれしかったですね。涙出ましたよ。

そういうことで、京都の亀岡っていう所で不動産の仲介業をスタートしたんです。それでもやっぱりむなしかったですよ。特に最初の1年なんかはね。昔の知り合いにも、その時の姿見られて「青木さん、後ろ姿を見かけたけど、肩が下がっていたで」なんて言われたんですね。事実そうだったと思います。

―― なぜですか?

志半ばで、自分が決意したこと辞めるからですよ。とりあえず、これで食うしかないと思って。それでも、そこから不動産に勤めている2年間、カリキュラムをもう一度1回ひも解いて、モチベーションが起こる目標設定ってどうしたらいいか一所懸命考えてました。

毎朝9時ぐらいに行って、午前中は営業をせず、ほとんどその勉強してたんです。それでも不動産の成果は上がったんです。最初の2カ月目ぐらいから2軒3軒と決まりだして、そこから毎月3人から5人、2年間で70人以上。その中で失客は2人しかいなかったんです。

―― そうなんですか?

まわりの人は、「この家いいですよ」とか「絶対今買っとかないと、なくなりますよ」とか売ることばっかりを言っていました。私はどうしてたかっていうと、その家を売るんじゃなくて、「あなたのアドバイザーになりますので、本当に望んでいる家、何カ月かかってもいいから、一緒に見つけましょう」ってアプローチをずっとしてたんですよ。
「私が全部、必ず面倒みますから、とことん納得するまで見つけましょう」って。そしたら全部私のところにお客さんが来てくれたんですよね。

不動産業の仕事で、営業について随分見直しさせていただきました。むしろ、私が不動産業についていなければ、現在の私もないかもしれないというぐらい感謝しています。

ですから、大学卒業して、就職の相談受けた時に、うちの娘には「不動産業に行け」って言いました。「不動産業でお客様のためになりな」って。ところが娘がある不動産業の会社の面接を受けたら、「なんで女の子が不動産の仲介なん?よくこんな業界きたな」って言われたらしいんですよ。それも上場企業で、面接はその会社の部長ですよ。

自分が働いている業界を「よくこんな業界きたな」って言っている。もう、腹が立ちましたね。「多少なりと希望をもって勤めようとしている新卒者に向かって、『こんな業界』ってよく言ったな。なんと情けないことをいう人間だ。それは業界のレベルでなくて、その人のレベルだってね」娘にも言いましたよ。「そんな会社に行くなって」

相手の人生で大事な何回かの買い物を、自分が本当に親身になってお世話したいと思えば、お客さんは頼ってきてくれるんです。自分がとことん関わったら、向こうも本当に感謝してくれるんですよ。

私自身もこの不動産業に勤めて、前の仕事でお客さんにこういう風に接してなかったなって思ったんです。説明をするばっかりで、相手の人生をまず聞いて、そこに関わろうって事を。懐に入って話し合って、専門的アドバイザーになるという所が、抜けてたんだなと思ったんです。
その会社で1年間働いてたんですけど、私も給料がどんどん上がって、コミッションがついて150万ぐらいなってたんですよ。でも社長と会社の方向性でぶつかったんです。結局「それはおかしい」と啖呵を切り、辞めることになりました。

そこで、不動産業ついてからの成績を持って、知り合いのとこに売り込み行って、成績を見せたら、びっくりしたようで「すぐ来てくれ」って言われたんです。

ところがこの会社が、町の本当に古くからある仲介屋さんで。「俺ならできるやろ」って1年やって変な自信を持っていたんですけどね。さすがにやっぱりお客さんが少ないし、前とは状況が違う。
そうしている間に、給料が40万とかになって、これなんとかせなあかんな思ってね。なにせ、前の仕事の借り入れの返済がありましたからね。毎月その返済も含めると、やはり80万ぐらいはいるんです。

夜にパナソニックのアルバイトの夜勤に行きだしました。そうなると、昼間は不動産業。夜はアルバイトの夜勤。ほとんど寝る時間が無くなりまして。さすがにふらふらになりました。人生でどん底の時代ですね。

そのときは、さすがに思いました。「俺の人生、どうなるんかな」ってね。

この間、「俺の人生、どうなるんかな」って思った時は一体何回あったんだろうと思い、改めて計算したんですけど、実は寿司屋の頃から13回もありました。もう、笑います。

―― ご自身の望む方向との乖離(カイリ)を感覚的に感じたときに、リスクを取ってでも行動にすぐ移しているようですが、何故ですか?

いてもたってもいられないだけです。自分にうそをつくのが嫌なんでしょうね。でも、それが不思議と、必ずプラスに転じるんですね。必ずドツボに入ったときに必ずつぶやく言葉が「俺の人生、どうなるんかな」で、それを言った瞬間から、「こんなことしてられへん」と思い、切り替えだすんです。

昼も夜も働いてフラフラになってたから、それだったらもう1回、前の会社を立ち上げようかと。この不動産業で得た気持ちで前の仕事をやったらきっと違うはずだと思って。ただし、無理に売りつけることだけはやめようとは決意していました。でも実際に戻ってみたら、矛盾をやはり抱えてしまう。買ったお客さんがやはりカリキュラムを上手く使わない。だから、不動産で習った「お客様のために親身になること」「そのためにお客様に質問をすること」とかを、少しずつ実践しだしたんですね。

今やっていることの片鱗。

―― 青木さんの周りの人たちは、どのように青木さんに参画してこられたんですか?フォローされる事などはあったんでしょうか?

フォローというより、私の足を引っ張るタイプです(笑)私に負けん気を与えてくれる人たち(笑)

―― 奥様はどうされていました?

子供が小さかったんで、本当に大変で、不安だったと思います。私がもともとは前の会社で専務だった時に結婚し、その会社やめて独立すると言い出した時も「あんたが決めたんだからいいんじゃない」と言ってくれました。独立してから3年で行き詰って、会社をたたんで不動産業に代わるといった時も、「あんた、そんだけ頑張ってきたんやから、もういいんちゃう。自分が思うようにやったら」て。やっと、不動産業で安定してきたと思ったら、社長と、もめてやめるといった時も「あんたがそう思うならいいやん」。そんな不動産業を2年間やってきて、前の会社をもう一度立ち上げると言い出した時も「あんたがそう思うなら、やってみたら」と、常に私の気持ちを認めてくれるんです。

きっと、内心では不安を一杯抱えてたと思うんだけど、私のやることに、一回も反対しなかった。つくづく頭が下がります。今あるのは私についてきてくれた女房のおかげだと思っています。

―― お子さんは、いつ頃できたんですか?

37歳、独立した時にできたのと、それから独立して2年後の、阪神大震災のときにできたんです。だから一番大変な時期ですね。困って、親父にお金を借りに行ったとき時も、親父から「お前、もう無理や。倒産せえ」って言われましたからね。それでも、「絶対、立ち直るから」と言って、お金を貸りましたね。親父にも世話になりましたね。

―― そんな中で、どのような形で質問型営業の発見があったのですか?

真のセールスっていうのは何かって言うとね。「売ることでなく、買ってもらうこと」。これは、前のカリキュラムの中の言葉で、私の心にずーっと残り続けていた。あと先生に教わった話で「お客様を喜ばすことほど重要なセールスはない」と。

この言葉がいつも頭から離れなかった。そして、不動産の時に、お客さんに望みの家を紹介出来て、ものすごく喜んでもらっていた感覚。再びこの仕事に戻ってきたときに、このことが、いつも頭にあって、いまだに真のセールスを探し求めていました。

世の中がインターネットでちょっと様変わりしてるのを肌で感じて、「質問」を駆使しながら、セールスをしていく間についに、その方法と感覚をつかんだんです。

実は、名刺交換だけで、商品を採用するって言ってくれた事があったんです。商品の事は口頭でしか言っていなかったし、値段も言っていなかったのに。このときの衝撃はすごかったね。
だって今まではとにかく緻密に説明して、逃げ道をなくして、イエスと言わすことしか考えてなかったから、だんだん商品の説明本が多くなってくるわけ。それでも私にとってその説明本は一生手放すことできないって思ってた。

その説明本が邪魔になったからね。今までものすごい重宝してたものが邪魔になる。すさまじい変化やね。

寿司屋でも安売りして売り上げあげたらええ、ということじゃないと思うんですよ。本当に喜んでくれて、「おいしかったよ」って言われたらうれしい。だけど現実的には違うことやってる。安売りして、ちょっと古くなったら、はよ売ってしまわな、みたいなね。

現実的になればなるほど矛盾が増えてくる。そういう世の中の流れにのってやってきたけど、「もう私は自分の信じたことしかやらない」、と決意したのが42歳ですよ。そこから全部営業を自分で考えた。営業で質問をずっと積み重ねてって、相手のニーズ欲求聞いてそこへ向かって話をする。

そしたら、営業に行った会社の社長に、名刺と挨拶だけで「青木さん、それ採用するよ」って言われたときに、驚きと共に、ついに私は秘訣を掴んだと。

「売ることではなく、買ってもらう」ことの意味。そして方法。秘訣。誰も教えてくれなかったことが、自分の経験で、自分の手でつかんだんです。「ついにやった!」って気持ちやったね。ついに私は営業の極意をつかんだ!絶対これ。間違いない。っていうことで、気が付いて。それ以降は22年。ずーっとその感覚をつかんだままこれでいけてますね。

だからセールスでいろんな素晴らしい本や話がたくさんあると思うけど、「私ほど本質を掴んでる奴はいないはずや」っていう気持ちはあるんです。事実、私の書いている本は、すべて私の体験とクライアントの体験だけで、書いていますからね。

15冊書いてきたけど、次々に不思議と湧いてくるんですよね。湧いてきたものを書いたら、前よりも、ものすごい具体的になってたり、もっと深い部分を表現できたりで。書きながら、自分が感動しています。

―― 自己内対話がすごい多いっていう感じですか?

私ね。そうかも。「あいつバカだよな。もうちょっと要領よくやれないかね」とか昔、いろいろ陰口たたかれたよね。そのたびごとに「俺のやっていることは絶対正しい。今に見とけ。証明してやるから」という思いでやってきました。

商業ベースに乗って、売ることをやってる人たちはこの10年ぐらいでみんないなくなった。「だから、言ってたじゃない」、みたいな気持ちは正直ある。でも、それは偉そうにしてる、っていうんじゃなくて「本当に正しいことはこれなんやで」と言いたい。

―― 本質っていうことですか?

そうそう。本当に正しいこと。私にもできてないこといっぱいあるんですけどね。まだまだ、質問型営業の普及はこれからですよ。見ておいてください。この社会で喜ばれる質問型営業の方法こそ正しいはずです。だから、全世界に広がっていきますから。